乙女ちっく更年期後(成れの果て)
2024-03-16T15:46:40+09:00
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過去と妄想と現実と・・・そしてリウマチと・・・猫のように暮らしたい日々
Excite Blog
結婚させたがる生徒たち
http://lovedolly.exblog.jp/33900287/
2024-03-16T15:44:00+09:00
2024-03-16T15:46:40+09:00
2024-03-16T15:44:28+09:00
love_dolly
戯言
若い頃なら平気で答えていた年齢も 徐々に誤魔化すようになる。
すると 勝手に予想して楽しんでいる。
20歳代には…彼氏はいるのか、いつ結婚するのかが定番の質問。
30歳を過ぎると…早く結婚して子どを産めと追い立ててくる。
40歳を過ぎると…旦那さんも子どもも居なくて老後はどうするのと心配してくる。
50歳を過ぎると…親戚のおばさんも独身の人がいるよなどと慰められる。
そもそも結婚する気が無いし そんな生き方もあるよと言うと
それは負け惜しみだと思われて信じて貰えず
結婚して子どもを産むのが普通だと言い
若い中学生は意外と保守的なんだと驚いた。
それでも 授業後にコッソリと 自分も結婚なんかしたくないと言いに来る子も。
家庭の悩みを抱えている子や バリバリ働いて自立した女になりたいとか
奥さんとか面倒なので一人が楽だと言う男子とか 理由は様々だが少数派である。
なかには 僕も結婚する気は無いので 先生が歳とったら僕が面倒見てあげる
などと無謀で見当外れで勘違いな事を言う子もいて可笑しかった。
30歳ぐらいの時 ある男子が『僕の塾の先生が独身で 先生に丁度いいから
紹介してあげる』と その先生の写真まで持って来てセールスポイントを羅列し
会う日時まで設定しようとして 子どもらしい純な真剣さにも遭遇した。
中学校で2年間授業を受け持ったN君と言う子が高校2年になった時
1年間その高校で地理を教えることになり それがたまたまN君のクラスだった。
『え〜また先生なん?追いかけて来たん?』と笑っていた。
要らなくなったステレオが有ると言うと 僕が貰いますと
友達と家まで引き取りに来たりしていた。
高校卒業後就職したN君から 突然電話があって
自分の上司の弟さんが嫁探しをしていて お盆に帰省するから
先生会ってみてと言う。上司も乗り気であると。
何を勝手な事を!と諌めると
『だって その人 ○○会社のパリ支店で働いとるんよ。
結婚したらパリに住めるんよ。先生 外国暮らしに興味あるじゃろ。
40歳前じゃし 最後のチャンスかもしれんじゃん。』
う〜む 確かに! じゃ無いわ! 危ない危ない。
外国暮らしになびきそうな女と見抜かれ いや誤解されたか。
お盆までに何度も説得の電話を受けた。
みんな それぞれ可愛かった。
保守的だった中学生も社会に出て それぞれ自分の生き方を模索する中で
普通とか世間とかに囚われない人生も面白いと気付く子もいるに違いない。
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可愛い年寄り
http://lovedolly.exblog.jp/33893852/
2024-03-13T15:44:00+09:00
2024-03-13T21:58:35+09:00
2024-03-13T15:44:16+09:00
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親と介護
同居して2年後に老衰で静かに亡くなった。81歳だった。
長女である母は子どもの頃から祖母への不満があり いつも激しく罵り合い
祖母は次女へ救いを求めた。
同居を始めた時 祖母は68歳 母は42歳 私は20歳。
私の中で祖母はちゃんと年寄りらしいお婆ちゃんに見えたが
今の私と同じぐらいの年齢だった事にビックリする。
祖母と激しく言い合いになっった時 母がいつも言っていた。
『年寄りは可愛げが無いと誰にも面倒見て貰えんよ』
『少しは可愛げのある年寄りになりんさいや』
言われた祖母は『可愛げが無くて悪かたのう』と言い返していた。
どっちもどっちだと思って聞いていたが 何か違和感があった。
面倒を見てもらうために可愛げを要求されるのは屈辱的だ。
しかも確執のある相手に対して可愛げなんか見せるわけもない。
可愛いお婆ちゃんは素敵だが 若い者に媚びる可愛げは卑屈だ。
母vs祖母 母vs父 母vs私 たまに 祖母vs父 父vs私
そんな日常が20年ぐらい続き その間に母は病気を繰り返した。
私一人で母と祖母のお世話が難しくなって
祖母は近所の施設に入所した。
施設での祖母は ちゃんと可愛げのあるお婆ちゃんになっていた。
施設に入って10年以上暮らし102歳の大往生だったが
その4年前に母は72歳で亡くなっていた。
母は可愛いお婆ちゃんだったか…
そもそも 孫も居ないので母の事をお婆ちゃんと感じた事は無いが。
理不尽な怒りを私にぶつけるのは子どもの時からずっと続き
それは認知症の初期症状で酷くなり
更年期鬱や父からの抑圧や強い睡眠薬の副作用もあったり
たまにパニック発作を起こしたりしていた。
介護に疲れて私も酷い言葉を投げつけたりもした。
それでも 可愛いと思う瞬間はあった。
もともとは無邪気で明るい人だったから
リハビリに送る車の中で夢中で言葉遊びをしたり
ドライブに誘うと とびきりの笑顔になった。
一番喜んでくれたのは私の笑顔で いつも憂鬱な顔だった事を反省した。
デイケアに通っている時も みんなと一緒に歌ったりゲームをしたり
お喋りも面白くいつも笑ってて楽しそうだった。
可愛げのある年寄りになれと言う母から祖母への言葉を聞くたびに
高齢者だからと言って 若い人に遠慮したり媚びたり卑屈になったり
無理に可愛い年寄りになる必要は無いのでは……
母から見て扱いやすい年寄りになって欲しいだけでは……
祖母に失礼なのでは…と思っていた。
いつも娘を苛立たせる父のような人でさえ
たまにうっかり可愛く思う一瞬がある。
歳のとり方は様々で面白い。
可愛げがあるか無いかは 相手の受け取り方次第による部分が大きい。
自分の機嫌は自分で取り笑顔でいられたら……それで良い。
認知症になったら 可愛げを要求されても知らんがなである。
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自転車
http://lovedolly.exblog.jp/33886210/
2024-03-09T15:27:00+09:00
2024-03-09T16:16:57+09:00
2024-03-09T15:27:59+09:00
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戯言
自転車に乗れるようになったのは 小学校4年生だった。
周りの子に比べたら随分と遅い。
それまでは必要性も無く 乗りたいとも思わなかった。
4年生の時 友だち数人で自転車に乗って遊びに行く事になり慌てた。
仲間外れになりたくなくて母に訴えると
何処からか中古の自転車を買ってきた。
4年生にもなって自転車の練習をするのが恥ずかしく
暗くなってから母と二人 近所の公園で練習した。
後ろを持ってもらいヨロヨロ走るのを2、3回繰り返した後は
突然スイスイ進み 遠くから母の笑い声がしてビックリした。
さすがに4年生ともなれば 母の補助は直ぐに要らなくなった。
喜び勇んで自転車に乗って遊びに行ったのは2〜3回。
立ち漕ぎが出来なくて 皆んなのスピードについて行けないのが悔しかった。
その後は また乗らなくなった。
母は乗れなかったし あの自転車はどうなったのか覚えていない。
それから自転車に乗ったのは二十歳の時
複数のバンド仲間20人ぐらいで 山口県の津和野に遊びに行き
レンタサイクルに乗ることになった。
10年ぶりの自転車 しかも2〜3回しか乗った事がない。
自信が無くて固まっていると 当時の彼氏がダンデム自転車を借りて来た。
ー広島県のレンタサイクルHPよりー
これなら安心 楽しいサイクリングとなったはずだが笑顔の裏で 前を漕ぐ彼氏が信用出来なくて 終始ビビっていた。ダンデム自転車とか二度と乗りたくないと思った。
卒業後 就職もせずにアルバイトをしていた喫茶店で近所のスーパーまで自転車での買い出しを頼まれて また固まった。ママチャリを前に緊張 全く自信は無かったが乗れてビックリ。ちょっとフラつくけど何とかお使いは無事に完了した。お使いはその一回きりで それ以来自転車には乗っていない。
40年以上のブランクがある今 乗れるのか…乗らないけど…定年後の再任用で小学校に勤めていた友だちは 健康の為にと自転車で通勤。坂道を下っている途中で転倒して足を骨折した。今は治って元気になってるが旦那さんに自転車禁止令を出されたらしい。
今さら 乗れなくても良いが 誰も居ない広い所で試してみたい。
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初めてオーブンレンジを買う
http://lovedolly.exblog.jp/33878844/
2024-03-06T09:57:00+09:00
2024-03-06T09:57:07+09:00
2024-03-06T09:57:07+09:00
love_dolly
戯言
ご飯は冷たいまま、何度やっても同じ。
壊れてしまったらしいオーブンレンジは20年以上前に友だちがくれた物。
しかも その時点で新品では無かった。
当時 電子レンジの無い家はほとんど無く珍しがられたが、
無くても何も不自由は無く、母も私も欲しいと思わなかった。
冷えたご飯は鍋で蒸し、牛乳は鍋で温める。
そもそも冷凍食品は買わなかったし、冷凍保存した物は自然解凍。
それが普通で不便とは思わない生活だった。
ある日突然 友だち夫婦がオーブンレンジを持って来て驚いた。
親戚の家で余っていた物で捨てるのも勿体無いし、
今どきレンジが無いなんて信じられんと強引に置いて帰った。
別に要らないのにと思いながら使ってみると、便利さに敗北。
それでも温め機能ぐらいしか使用していなかったが、
母亡き後のある日 突然ケーキ作りにハマりレシピと格闘しながら
毎週 色々なケーキを焼いて友だちに配って回った。
自分が食べたいと言うより作るのが面白かった。
中でもザッハトルテとマドレーヌの評判が良かった。
昔ながらの泡立て器で死ぬほどシャカシャカしていたら、
今度は別の友だちがハンドミキサーを買って来てくれた。
購買意欲の無い私の暮らしは友だちの善意で近代化していく…
その後いつのまにかケーキ作りに飽きて、
今では温め機能に加えて野菜の下ごしらえ機能に感動していると言う
呆れるほど時代遅れな女だ。
今年の正月には冷凍餅を柔らかく出来るのを知り まだまだ進化中。
猫2匹がレンジの上で場所取り争いをしていた事もあった。
もう充分に働いたので壊れても致し方無し。
朝壊れて昼前には近くの家電量販店に飛んで行った。
オーブンレンジには興味も無かったのでどんなん買えば良いのか……
機能とかメーカーとか価格とかネットで調べるのももどかしく
店頭にある物の中から適当に選んで持って帰った。
ヘルシオとかビストロぐらいは知っているが、そんなん宝の持ち腐れ確定だし。
特別に料理好きでも無いので最低限の機能があれば良しと
シャープの小さくて安いヤツを買う。
フラットな庫内 チンと言わない グリル皿付き……
私にとっては いちいち新鮮である。
これが最初で最後のレンジ購入になりますように。
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昔と今の高校入試
http://lovedolly.exblog.jp/33868501/
2024-03-02T15:58:00+09:00
2024-03-02T15:58:21+09:00
2024-03-02T15:58:21+09:00
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戯言
「自己を認識し、自分の人生を 選択し、表現することができる力」がどのくらい身に付いているかをみるため、一人ずつ5分間で
自分自身のこと(得意なことやこれまで取り組んできたことなど)や高等学校に入学
した後の目標などについて、自分で選んだ言葉や方法で表現する。
ー入試要項よりー
タブレットや自分の作品の持ち込みや、得意なダンスをしたり、
自分を如何にプレゼン出来るかの能力が必要。
今の時代の子で無くて良かった。中学生だった自分には無理だ。
成績は良かったが授業中は大人しく自己表現なんか出来るような子じゃなかった。
しかも得意な事も無く、人前で発表するのも苦手で自分に自信が無かった。
思春期真っ只中で、常日頃考えていた支配する母との関係についての分析
でも披露すると、試験官は質問に困るか。
自己表現したい相手と場所でも無いのに
強制されることへの違和感を述べるとかしたら不合格になるのか。
上手に自己表現できる子だけが生き易い世の中っておかしくないですかとか
言っても不合格か。
そんな風に自分の意見が言えたら立派だし合格の筈だ。
そもそも『自己表現』の採点が試験官の主観次第にならないだろうか。
人前で話す事が苦手で5分間モジモジする子はどうする?
そうならない為に中学校で『自己表現』の練習をさせられるのも苦痛でしかない。
無難に将来の夢でも語るしかないが、本当に嫌だ。
私みたいな子にとっては辛い『自己表現』面接である。
自己表現出来ない事がコンプレックスになりそうだ。
私の時代受験科目は、英数国理社に加え体育・音楽・家庭科・美術。
時代錯誤な父親が女のくせに勉強するな、
お金が掛かるから私立には行かせんと言う事で
公立しか受験させてもらえず、一回のチャンスで母も私も必死。
苦手な音楽、曲名とかの聞き取りテストに備えて安いプレーヤーと
クラシックのソノシートを買ってもらった。
ペラペラのソノシートって!懐かしい〜
受験対策とは言え、プレーヤーが我が家に来たのは嬉しかった。
でも音楽は全く自信なかった。
家庭科も苦手だった、何の実技があったか覚えていない。
体育のテストは開脚前転や後転、美術はデッサンかデザインを描いた。
内申書の割合が高かったので、私みたいに大人しい子でも
普通に真面目な中学校生活を送っていれば合格出来る。
本当に昔の子で良かった。
人前で自己表現出来なくても別に良いんだよと言ってあげたい。
いろいろな個性を持った子が自信持って生きられたらいいのに。
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弱いけど強かった母
http://lovedolly.exblog.jp/33859696/
2024-02-28T10:52:00+09:00
2024-02-28T21:06:31+09:00
2024-02-28T10:52:06+09:00
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親と介護
子どもの頃から、父に怒鳴られ殴られ逃げ回る母の姿を見てきた。
子どもを父への不満や怒りのはけ口としてきた。
近所付き合いや友達付き合いでは人の言葉を気にし過ぎてナーバスになり
それを聞かされるのにもウンザリだった。
自分の中に溜め込む事が出来なくて全てを子どもにぶつけてきた。
20年前に子宮・左卵巣摘出手術をする時、
病気の恐怖より開腹手術の物理的な恐怖で逃げ出したかった。
当時の母は亡くなる4カ月前でユルユルと認知症が進み
私の手術を一緒に悲しむ事は無かった。
手術の恐怖に怯えて眠れない日々を過ごした。
2年前の緑内障・白内障同時手術の時も、
怖くてたまらなかった。
手術のリスクを考え過ぎて不安の沼に沈みそうだった。
ビビりの私だが、思い出す母は全く違った。
母は50歳目前に変形股関節症になり4回も股関節の手術を繰り返した。
一度も怖がった事がないどころか、リスクなぞ気にもせず
積極的に手術をやりたいと医者に迫っていた。
まだまだ若い50代なのに、杖をついて歩く事に躊躇う事も嘆くことも無く
60代になり松葉杖になってからは一層活動的になり、
日帰りとか一泊のバスツアーで旅行に行くようになった。
ローカル番組の見学に地元テレビ局にも出かけたり
私と違って買い物好きなのでバスに乗ってデパートにも良く行った。
私だったら…とても母のようにはなれない。
人工関節の手術は怖いし、不便な生活に絶望し、
松葉杖で歩く事が不安で出かけるのが億劫になったり。
でもいざとなったら前向きに開き直れるのか……
母の意外な強さに気付いて、ちょっと嬉しくなる。
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父と娘の共同作業
http://lovedolly.exblog.jp/33852712/
2024-02-24T15:20:00+09:00
2024-02-24T15:20:04+09:00
2024-02-24T15:20:04+09:00
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親と介護
もう何度目か……トイレに行こうとして転ぶ父。
いつもぶつかる左のガラス戸は破壊されてアクリル板が張ってあり
それにも何度かぶつかるので歪んでいる。
今回は右のガラス戸破壊。
これで左右揃って下半分はガラス無し、かえって清々しい。
暗闇で座り込む父に怪我は無さそうで一安心。
電気をつけようと踏み込んでガラスの欠片が刺さる私の右足親指の裏。
派手に流血して廊下に血の跡が点々と……
廊下には割れたガラスが散乱、これ以上動けずスリッパ探す。
先ずは刺さった欠片を抜いて絆創膏、歩こうとする父を必死で止める。
別の扉から出てトイレに行ってもらう。
ガラスの落下は主に廊下側なので良かった。
ガラスの後始末と穴の空いた戸に段ボール貼って応急措置で1時間。
寒さも痛みも全く感じなかったが、いざ寝ようとすると冷えて眠れず。
父はこの2日前に病院で睡眠薬を強めの物に変え、
更に市販の強い風邪薬も一緒に飲んで寝て、
夜中のトイレはフラフラだと思われる。
それを言っても認めないので言わない。
眠れなかった夜が明け、ガラス戸をどうするか?
建具屋さんで修理か新調か……
いやいや また繰り返すと思われるので却下。
近所のホームセンターでポリカーボネート購入。
父の口出し手出しで、あーでもないこーでもないと喧嘩しながらの切断に
貼り付けに大騒動。逆上するので意見の食い違いには私が折れる。
不細工だが、歪んでいた左側もついでに張り替えて何とか完成。
残っている上半分のガラスを割らない事を願う。
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赤大葉高菜と母
http://lovedolly.exblog.jp/33845006/
2024-02-21T14:13:00+09:00
2024-02-21T14:13:55+09:00
2024-02-21T14:13:55+09:00
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親と介護
子どもでも少しえぐみのある味が大好きだった。
名前を尋ねると“オハ”と言っていた。
母の代わりに料理をするようになって“”オハ“なる物を探すも
どこのスーパーでも見つける事が出来ずにいた。
何年も経ったある日、スーパーの地元産直野菜コーナーで見つけて以来、
珍しい野菜に違い無いと思い、
農協の産直市や田舎の道の駅で見つけると必ず買ってしまう。
ネパールに行った時に小さな食堂でこの野菜の炒め物が出てきた時には
懐かしい味に感動した。
ずーっと”オハ“だと思っていたのが、
10年ぐらい前にどこかの産直市で高菜と書いてあってたまげた。
高菜だとは!!!あの漬物の高菜と同じだとは信じ難かった。
すると緑の高菜にも目が行き買ってみたが、紫の方がえぐみが強くて好みだ。
”オハ“って何なん?母の実家だけの呼び名だったのかも。
種苗会社のサイトによると赤大葉高菜と言う名前だった。
町内を散歩してると広い畑に紫の高菜が一面に育っているし、
父がウチの庭にも苗を植えたこともあった。
残念ながら気短な父により充分に育つ前に刈られてしまう。
今でも“オハ”を見つける度に亡き母を思い出す。
母の誕生日だった昨日も
油揚げとちりめんじゃこと一緒に炒め煮にして食べた。
私にとっては、いつまでも貴重で特別な野菜の“オハ”である。
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自分の車に轢かれた女
http://lovedolly.exblog.jp/33840131/
2024-02-17T15:05:00+09:00
2024-02-17T19:01:24+09:00
2024-02-17T15:05:51+09:00
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戯言
電報出しに郵便局に行こうとしたとか。
間抜けな東北旅行とか。(私も間抜けでは負けていない)
今から20年前ぐらいの事。
足を骨折したと連絡があり、慌てて駆け付けると、
ギブスで固められた左足を見せて笑ってる。
家の隣の空き地に停めた軽自動車のチャイルドシート(後部座席)に
赤ちゃんを乗せ運転席に座ってエンジンを掛けた時、
後ろのドアを閉めていない事に気付き慌てて降りる。
すると車がバックで動き出して転んだマリの足の上をゆっくりタイヤが回って行く。
えっ?そんな事ってある?
よく事情が掴めないので確認し分かった事は、
彼女は運転し始めて一度もサイドブレーキを掛けたことが無い!
『だって、ギアをパーキングに入れたら良いんじゃないん?』と言う。
エンジンを掛けてギアをバックに入れ空き地から道路に出ようとしていた。
そこまでは普通だが、
後ろのドアを閉めるために運転席から降りる時、
ギアをパーキングに戻さなかった、しかもサイドブレーキも掛けていない。
当然のように車は動き出すよね〜見事に轢かれるよ。
車はマリの足の上を通り過ぎノロノロとバックを続け道路に出て行く。
道路の向こう側の有刺鉄線をガリガリ擦りながら電信柱にぶつかって止まる。
転んだままのマリは激痛に耐えながら、すいませ〜ん!とか細い声をあげるも
近所の家はまばらだしお年寄りばかりで反応無し。
そこで思い切りの大声で助けて〜と叫んでやっと近所のお婆さんがやって来て
救急車という事に。
不幸中の幸いなのは、行き止まりの田舎道で車が通っていなかった事、
道路の向こう側が川でも崖でも無く有刺鉄線の張られた空き地だった事、
それで赤ちゃんが無事だった事が何よりなのである。
こんな所で良かったよ。
呆れた私は厳しくマリを注意指導。
しかし……
その日は赤ちゃんの診察日で予約してある市民病院へ行こうとしていたので
救急車に乗って市民病院へ行って欲しいとお願いして行ってもらい、
自分は車椅子で整形外科へ、娘は小児科へでちょうど良かったんよと
ニコニコして言うマリ、流石である。
その後ギブスが取れたと言うので駆け付けると、
見て見て〜とはしゃいでるマリ。
ギブスをしてた方の足が細くなったと大喜びなのだ。
もう片方もギブスで細くしたいと真剣に言うマリ。
そう言えばイギリス旅行の時、
欲しいものが一つ手に入るなら何?という話になって、
堅実なリエはお金、母の支配下にある私は自由、マリは細い足だった。
そんな事もあって、赤ちゃんが無事に育つか心配だったが、
その子が去年成人式を終えホッとしている。
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バレンタインあれこれ
http://lovedolly.exblog.jp/33836848/
2024-02-14T15:28:00+09:00
2024-02-14T15:28:39+09:00
2024-02-14T15:28:39+09:00
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戯言
本命チョコも友チョコも義理チョコもしない人が増えてるような。
小学生だった頃にバレンタインにチョコ贈る的なイベントは無かったはず。
中学2年の時に学校一のモテモテ男子が同じクラスにいて、
彼の机の中がチョコで溢れてて初めてバレンタインデーを認識した。
高校生の時にはクラスの女子全員でチョコ買って男子全員の机に忍ばせ
彼らの反応を見て面白がるという悪趣味な事をした。
自分が好きな人にチョコあげて告白したいとは思わなかった。
大学生になり、ちゃんと付き合う人ができても
もう付き合ってるんだから告白目的でチョコあげる必要はないはず。
そもそもクリスマスとかバレンタインとか世間が決めた日に
プレゼントをあげなければならない義務感に抵抗していた。
無意味に尖っていた頃が懐かしくて恥ずかしい。
それでも彼が寂しそうなので、買ったチョコを部屋に隠しておいて
探し出せたらスゴいみたいなノリで渡そうとした。
必死で探しても見つからなくて途中から拗ねる彼が可愛く幼稚に見えた。
中学校に勤め出したら、非常に女子力の高い先生が男の先生全員にチョコを
配っていて驚いた。当時はまだ義理チョコと言う言葉も無かった。
それからも普通にチョコ渡した事は皆無だ。
可愛いリボンのパッケージを喜んで開けたら
広島名物牡蠣カレーのレトルトだったり牡蠣醬油海苔だったり
みたいなので驚かせるのが面白かった。
とにかく好きな人との記念日とかプレゼントとか苦手なのだ。
面と向かって思いを込めて渡すとか恥ずかし過ぎて死にそうになる。
尖っている上に捻くれてもいるらしい。
お仕事ラストイヤーのバレンタイン間近なある日、
同じ学年の女先生が学年団の男先生たちにチョコをあげませんかと言い出した。
その頃には既に義理チョコも廃れ気味だったのに。
その40歳代の女先生は普段とても大人しく会議でも発言する事も無いのに
こんな事を言い出すなんてと意外だった。
バカバカしくて会話に参加せずにいたが、いつの間にか決定事項になっていた。
すると今度は女子力強めの先生が、一人一人にメッセージも書きましょうと
それはそれはラブリーなカードを準備し始める。
参加したく無いと仲良しの同僚に漏らすと、ココは我慢して大人の対応をと
諭され、お金だけ払えばと覚悟してたのにメッセージまで!
邪魔臭い事この上無いので、全部のカードに猫のスタンプ押しといた。
皆んなはそれぞれの先生に合うような素敵な歯の浮くような
メッセージを書いていたが。
1ヶ月後のホワイトデーには、高級なマカロンの詰め合わせを頂いた。
ちなみに、その学年の女先生は40〜60歳代で男先生は20〜30歳代だった。
不毛な気の使い合いは疲れる。
数ヶ月前に買って忘れていたチョコレートでも食べよう。
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確信犯なのか?
http://lovedolly.exblog.jp/33832302/
2024-02-10T15:27:00+09:00
2024-02-10T15:27:12+09:00
2024-02-10T15:27:12+09:00
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戯言
個性豊かな職員の中でも、皆んながなるべく関わりたくたい女性がいた。
仕事は出来るのに、性格が………お山の大将。
親分肌を装ってはいるが、自分になびかない人を敵視。
その人と校務分掌(研究部)が同じになり、ご機嫌をそこなうと嫌われるだけで無く、
生徒にも迷惑がかかるのだ。
前年度末に研究部が立てた年間計画に基き週に一回の道徳の授業が進められる。
その授業の元となる映像資料や指導案の半分ぐらいが彼女の私物だと言う
信じがたい現実に、初めて研究部に配属となった私は驚いた。
毎週のように研究部長である彼女に頭を下げ資料を借り、
自分の学年の授業の準備をしなければならない。
自分の頭ぐらい幾らでも下げるけど、とにかく恩着せがましい。
自分の資料が無ければ学校が回らないでしょと言う事にしたいらしく
自分が転勤する時は資料全部持って行くからといつも言っていた。
年間計画で使用するようになっているなら、
研究部のロッカーに入れておいて欲しい。
他学年の研究部の先生が何かでご機嫌を損ねたらしく資料を貸してもらえず
その学年の道徳の授業が出来ず、急きょ差し替えられた事もあった。
分かりやすく威張ったり怒ったり不機嫌を撒き散らしたり睨んだり。
彼女と同じ教科の新卒教員が彼女の指導で病休になり退職した事もある。
校長に何とかして欲しい旨を訴えたが、校長も苦慮していた。
彼女と同じ学年団で分掌も同じくする新卒3年目の男の先生は、
仕事も出来て彼女とも上手く接して可愛がられていた。
放課後の職員室、皆んなが適当におだてておけば良いと言う感じで
彼女を持ち上げ彼女もご機嫌だったその時。
新卒3年目の彼が言った一言に場が凍りついた。
『先生は重箱の隅をつつくように良く気が付いてじゃけぇ凄いですよね』
シーン………………
皆んな聞こえなかった事にして自分の仕事に戻った。
元から会話に参加していなかった私だが、耳を疑う発言に
彼女の反応を見ようと顔を上げたら、憮然とした表情で出て行った。
取り残された彼は何が起こったか分からないと言う表情でポカンとしている。
皆んな心の中で拍手喝采していた。
何と勇気のある発言を!彼女とたもとを分つ覚悟の上の発言か?
……と思いきや……後日皆んなで彼に聞いてみたら…
“重箱の隅をつつく”の意味を良い方向に捉えていると言うではないか!
いやいや…いやいや…そんな事ある?
彼は市内の進学校から東京のW田大学へ行きストレートで採用試験に合格し、
話していても非常にスマートな人なのだ。
彼女は、その後しばらくは研究部の部会に出席をしなかった。
そして彼は、その事を全く気に留めていなかった。
やっぱり確信犯なのでは?と今でも思っている。
どっちにしても彼のハートが強い事だけは分かった。
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光が来た
http://lovedolly.exblog.jp/33828707/
2024-02-07T14:22:00+09:00
2024-02-07T19:22:42+09:00
2024-02-07T14:22:09+09:00
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戯言
老化のせいなのか、何もかもが面倒になってきている。
父以外のことは平穏に暮らしたい。
11月には、突然のカーポート工事と光回線の契約。
悪い事でも大した事でも無いのに不安で面倒くさくてたまらなかった。
カーポート工事が無事終了してちょっと安心したが
光回線工事が終わるまで、心に引っ掛かりがあって不安で落ち着かなった。
父の反応、大掛かりな作業、工事の人、狭い道路に大きな工事の車、テレビ3台のうち2台がBS対応では無い、屋根の上のアンテナ撤去、テレビのある三つの部屋に工事の人が入る、光開通キャンペーン中で工事費用は要らない筈だが追加費用がかかるかも、掃除が大変、工事時間が3〜4時間で長い、…………等々つまらない事を悲観的に考えてめんどくさくなる。(こう言う所が父に似てきてガッカリである)
結果は………父のストレスを考慮して私の部屋のテレビだけを繋ぐ事にしてスッキリ。なのでアンテナ撤去は無し。工事の人は二人とも凄く感じ良く、時間はかかってもスムーズに接続。
テレビをあまり見ないので自分の部屋のテレビは無名メーカーの超格安。BS対応無しのおバカテレビにチューナーを繋ぐと、突然スマートテレビに変身。20年以上使っていたセキュリティ皆無のルーターも新品に交換、色々とわからないことも丁寧に説明してもらい満足。テレビのメーカーが無名過ぎて、新しいリモコンが同期出来ずリモコン二台使用にはなったけど。
途中一度だけ、鬼の形相の父が覗きに来た。怒鳴られるかと身構えたが、睨んだだけで去って行った。全て無事終了で心底ホッとした。
そして、インターネットの速さに感動。1か月無料サービス付きのNetflixも、6ヶ月間限定のCSも観ないけど。今までiPadで観てたYouTubeとTVerとアマプラ映画はテレビで観るかも。今さらの人並みなテレビ活用だが、別に無くても困りはしない。シンプルにインターネットさえ出来れば良いのだが。
これでしばらくは平穏に暮らせるはず…………
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不運な鹿
http://lovedolly.exblog.jp/33822161/
2024-02-03T15:44:00+09:00
2024-02-03T22:32:10+09:00
2024-02-03T15:44:36+09:00
love_dolly
戯言
ウチから5mの所にあるネットで囲まれた空き地。
行ってみると、頭部がネットに絡まって鹿が横たわっている。
日頃から頻繁に出没する鹿、明け方の鳴き声も凄い。
可哀想にネットに突っ込んで行ったのね〜と二人で見ていたら、
急に立ち上がってネットから逃げようと暴れ出してビックリ!!
今にも飛び出してきそうで怖くて逃げ腰に。
生きてる!生きてる!と二人で大騒ぎ。
とにかくなんとかせねば。何処かに電話だ!警察か区役所か?
取り敢えず区役所に電話、慣れた様子で農林課へ回された。
先ずは、鹿のいる土地の所有者の許可が無いと何も出来ないと言われ、
隣の人に所有者を聞いて農林課へ連絡。
暴れると余計にネットが絡み付き疲れて横たわり
また暴れるを繰り返す鹿の必死な姿が痛々しくて哀れ。
それを見ていた父が目に涙を溜めて、
可哀想なけえワシがネットを切って逃がしてやると言い出す。
暴れる鹿 VS ヨレヨレの92歳 勝敗は目に見えている。
今にもカマを持って来そうな父を必死で止める。
同じ町内の所有者は留守らしく、膠着状態。
このままでは父が……
我慢できずに農林課へ電話。
ウチの92歳が可哀想に思って自らネットを切ろうとしているので、
早く来てください〜っ!懇願。
何とかしてお父様を止めてください〜っ!危ないので手出ししないでください〜!
猟友会には連絡していますが、とにかく所有者の許可が取れないんです。
農林課も必死。
昼過ぎ農林課からの所有者と連絡が取れたので猟友会の人が向かっているとの
連絡でホッとする。
その時、農林課の職員さんが、
お父様が可哀想と言われてたのに申し訳ないですが、鹿の命は……
それは仕方ない。
近年ウチの区では鹿の増加による農作物の被害が増え問題に。
区の鹿7000頭は区内の小学生より多いとニュースにもなっていた。
ウチの庭の野菜も食べられたこともある。
猟友会の人が三人来て慣れた手付きで長い棒2本で鹿を押さえ込むと
それまで全く鳴かなかった鹿が絶叫する。
その直後、槍状のもので首の急所を突いて静かになった。
土地所有者は怖がり近寄らず、現場で見届けたのは私一人だった。
メスの鹿で推定2歳。
駆除した証拠として尻尾の先を切り農林課へ出すらしい。
あとはジビエとなるために車で運ばれて行った。
家に帰り、父に鹿の最期を話すと………
『肉は貰えんのか?』
…………………。
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呼吸器内科とびったれ親子
http://lovedolly.exblog.jp/33815960/
2024-01-31T15:19:00+09:00
2024-01-31T15:28:35+09:00
2024-01-31T15:19:09+09:00
love_dolly
親と介護
二年前まで年一で肺癌の経過観察をしてもらっていた先生。
紹介状によると、胸が痛いとか息切れがするとかの症状を訴えていたらしい。
取り敢えず、胸のCTと心電図の検査。
胸が痛いと初めて聞いて、もしやと思っていた通り、
CT画像を見た先生は、かなり激しく肋骨骨折してますね、
骨の付き方が元通りとはいかず、痛むこともあるでしょう。
安心して笑ってしまう。
心電図は多少の不整脈はあるものの問題無し。
肺癌らしきモノは二年前より若干大きくなってはいるが、
今さら生研するのも負担が大きいので何も出来ない。
高齢なので癌の成長速度も低いし肺炎も無く、
一気に不安解消となった。
息切れするのは、体力が落ちたのでは?
毎日歩いていたのが、去年の春から体調悪くて
あまり歩かなくなっていたので納得出来る。
散歩コースにあるので外からは見ていたが、
移転新築なので行くのが楽しみだった。
広くて明るくてキレイで、あちこち探検したかった。
受付から外来を経て検査の数々で父が迷子になりそうな迷路なので、
ずっと一緒に行動。
地下の駐車場も広くて、帰りに自分の車の場所がわからなくなりそうで
写真撮っておいた。
診察待ちやら検査待ちやら結果待ちやらで4時間。
その間に2回ほど目にした父の行動。
父も私と同じく緑内障でその目薬のせいで目が乾く。
乾燥用の目薬も貰っているが、持ち歩いてはいない。
指先を唾でビチャビチャに濡らしてから目を擦っている。
乾いた目を唾で潤しているらしい。
自分の唾だから汚くないらしい。
朝からと言うか、昨夜の入浴以来手は洗っていない父である。
もちろんトイレ後も食事前も洗わない。
朝の洗顔は水だけなので手を濡らしたのはその時だけだ。
病院のドアなど色々触ってもいる。
その手をペロペロ舐める、その手で目の粘膜を触る。
それで、インフルエンザにもコロナにも感染しない。
あるいは他の人に何かをうつしているかもしれない。
万能雑巾に続き、昔々人間の本来の姿はこうだったのか…
神経質な清潔志向は人間を弱くしたのか…
……知らんけど。
我が田舎では父のような人の事を“びったれ”と言う。
さも父のことを呆れたように書きながら思い出した。
2年前までハードコンタクトレンズを装用してて、
レンズにゴミが付いたり曇った時には、
取り出して舐めて入れ直してたんだった。
皆んなしてたよ。何とも思わなかったよ。
でも父よりは何倍も手は洗ってたと言い訳。
さすがにコロナ禍になってからは止めたけど。
(唾には雑菌が多く目に雑菌が入るので危険な行為です。
良い子はしないでください。)
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父の雑巾
http://lovedolly.exblog.jp/33809118/
2024-01-27T15:36:00+09:00
2024-01-27T15:36:31+09:00
2024-01-27T15:36:31+09:00
love_dolly
親と介護
特別キレイ好きでもないし、人も来ないし、
好都合なことに強度の近視なので汚れも見えない。
朝食後に掃除機をかけ始めると、父も勝手に参加する。
自分の部屋のコタツをあげて床に物が無いように片付けている。
その後は、雑巾片手に台所でゴソゴソしている。
数年前に見てしまった。
雑巾と言っても何ヶ月も使っている真っ黒に汚れた古タオルだが、
それで拭いているのは……
テーブルの上、キッチンの調理する所、コンロ周り、出窓の棚、
電子レンジの上及び内部、冷蔵庫の前面、炊飯器の上……
更に、窓、扉、電灯の傘、食器棚の前面、椅子…
雑巾を一度も洗う事なく一気に全てを拭いている。
しかもその雑巾で車も拭くし、玄関のたたきも拭くし自分の部屋の畳も拭く。
墓参りに行くと墓石も拭くのだ。
父にとっては万能雑巾である。万能過ぎてもはやホラーである。
特別なキレイ好きでもない私ではあるが、さすがに驚いた。
余りの衝撃に怒りが加わってヤメてと叫んだら、父はその何倍も怒り狂った。
見なければ良かった。
知らなかったとは言え、万能雑巾で拭かれたキッチンやテーブルで
料理して食べていた現実もまたホラーだ。
父の衛生観念の低さは承知していたつもりだが、そこまでとは!
それで92歳まで生きてきた実績には平伏すしかない。
近年の除菌ブームなどクソ食らえである。
ひたすら見ない振りをして掃除を終え、父が部屋に入ると同時に
アルコール除菌シートを持ち、父が拭いたと思われる所を拭いて回って
本当に掃除終了となる。
父の万能雑巾と私の除菌シートの攻防。
いかにも除菌シートの勝利であるかのような気分になるが、
知らぬが仏だった頃を思えば、引き分けなのかも。
ご丁寧に、私の部屋にも入って万能雑巾で拭いてくれる。
そんな父が、私の掃除機のかけ方が悪いとか、
いい加減に掃除した箇所を指摘してバカにしてくる。
結婚した事はないが、舅に仕えている気分も堪能できる。
ちなみに、新しい古タオルを渡しても使わないので、
コッソリ捨てようとするんだが、絶妙に隠しているのが悔しい。
万能雑巾で思い出した。
昔付き合っていた男が、車を拭いたタオルで顔の汗も拭いていて驚いた。
付き合い始めだったが、うんと年下だったので、
やんわり指摘したら、逆に驚かれてまたビックリ。
でもそれからはしなくなった。あくまで私の前では。
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